結婚が決まったとき、まず着たいドレスブランドを目指して

恵比寿にアトリエを構える人気のウェディングドレスデザイナー・横畑早苗さん。大学卒業後の専門学校入学。そして大手アパレルを退職後、なかなか結果が出ない中で展示会に出品し続けた日々、ウェディングとの出合いなど、これまでの軌跡を聞きました。

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私、大学3年生の時に精神的に体調を崩して、色が見えなくなったことがあるんです。真っ暗というか白黒の世界で、何にも心が動かない。当時は難民問題を勉強して、国連を目指していました。でも難民はすでにいる。私がいくら解決策を考えても、ただの学生の机上の空論…。
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そんなある日、テレビから流れてきた音楽に、ぽろっと涙が出たんです。「あれっ」と思いました。「私、抜け出せるかも」と。まずは何か感情が揺さぶられることをやってみようと、焦ってビジネススクールの雑貨コーディネートコースに通うことにしました。

そこで色彩検定の勉強するうち、心と体のバランスが取れてきて、自分には「感覚を使う仕事」が向いているのかもと感じるようになりました。小さい頃から手縫いやミシンが大好き。母の見様見真似で服を作っていたことを思い出し、服を本気で学んでみようと思ったんです。
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都内中の服飾専門学校を回りパンフレットを集め、大学卒業後に就職せず専門学校に通わせて欲しいと、父に土下座しました。緊張しても話せるよう手元にメモを置いて。すると、それまでお金について何も言わなかった父が、ぽつりと「そうか、厳しいな」。
思いは理解してもらえたけれど、その時、絶対に服の仕事で大成しようと誓いました。

その後は3年間、寝る間を惜しみ必死で勉強。地方在住の父も知っていて、母や祖母には着てもらえるという気持ちもあり、デザイナーとして『ユニクロ』に就職しました。
そして3年後、無期限の上海転勤の内示がきっかけで悩みぬいて退職すると決めた時も、家族は独立することを応援してくれました。
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退職後すぐ、専門学校時代の同級生のブランド展示会を手伝って、お客さまとの直接のやりとりを初めて経験。これいいなーって、独立することをぼんやり考え始めました。
ただいきなり洋服を作って売るのは敷居が高い。趣味で作っていたアートフラワーをネットで売ろうかなって起業家の友人に話してみたんです。すると穏やかな友人が「何、考えてるの?」って。「そんなに商売甘くないよ。しっかり年間計画を立てて将来も考えないと成り立たないよ」と。ガーンってきましたね。

その夜ノートに言われるままに1年、3年、5年計画を書いて、腹をくくり洋服のブランドをやろうと決意しました。その時点で11月、次の展示会シーズンの翌2011年3月に洋服の展示会をすることにし、知り合いに紹介されたギャラリーを即決。予約の帰り際、担当者に「で、どんなお洋服なんですか?」と聞かれ、「なんでしょうね、スカートとかワンピースですかね?」って言ったのだけ覚えています(笑)。
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一生懸命デザインし、パターンを引いて、自分で縫製。名前の「さなえ」にちなみ、3月7日に個人事業主の申請をしました。そして3月21日〜23日に初めての展示会を控え、最後の1着を縫って裾上げしていた時、東日本大震災が起きました。
迷ったけれど「ここで折れたら私はこの先進めないと思うので、もしもいらっしゃれる方がいたらお越しください」と1週間前に連絡。蓋を開けてみると、200人近くの知り合いがほとんど展示会に来てくださって。本当にようやくのスタートでした。
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最初の展示会では値段の付け方が分からず「コートだから3万円」みたいに一般的な価格を付けていました。売れるものを作れていると思っていなくて、「かわいい」と言われると「着てくれるだけで嬉しい。あげるよ!」って本気で言っていました。

次に7月の大規模な合同展示会に出展しましたが、全く駄目。プロのバイヤーに「何これ?」と言われ、服ではなく自分自身を「何だお前」と否定されたように感じて自信を失ってしまって…。段々と人と話すのが怖くなり、最後はラックの後ろに隠れていました(笑)。
10月、12月も展示会に出したけど大きな受注もなく、材料費と出展費だけで毎回100万円以上の赤字に。
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そんな独立から1年経った頃、知り合いを通して「ウェディングドレス作れますか?」と連絡が。確かに専門学校の卒業制作はドレスっぽかったけれど「そんな大役!」って感じで、直接お会いして丁重に断ろうと思いました。だけどその花嫁さんがとてもいい方で、思わず引き受けてしまったんです。
ドレス制作は初めてなのでフィッティングだけで13回、よく付き合ってくれたと思います。彼女の結婚式当日のドレス姿と輝いている顔は一生忘れません。これまでに経験したことのない喜びでした。
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カジュアル服は2年間展示会に出し続けたけれど、親からの借金が増えるばかり。最後の賭けと思った展示会でも大きな受注はありませんでした。
迷いの中で年が明けた2013年元日、父に瀬戸大橋の見える場所に連れて行ってもらって。すごく静かな瀬戸内海を一人で眺めながら「ごちゃごちゃ考えることはやめよう、自分が楽しいと思えるウェディングでブランドを作ろう」と決めました。
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決意して東京に戻り、ウェディングをやるなら自宅ではなくお店を持とうと探し始めました。すると当時住んでいた浅草で、近所に築50年くらいの倉庫を見つけて。自転車や農機具が置かれた3坪の倉庫。見に行ったその日のうちに契約し、知り合いの内装屋さんに破格で改装してもらいました。
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2013年7月20日をオープンと決めてドレスを3型作り、15人も入ればいっぱいのお店でレセプションパーティを開きました。食べ物は私と妹の手作りです。この時点で父への借金は展示会も含めて、1千万円近くになっていました。

最初は知り合いのウェディングプランナーにお客さまを紹介してもらいながら、ようやく現実的に商売を考えられるようになって、2015年の終わりには恵比寿に移転。50平米と広くなり、初日に「走れる!」とはしゃいで(笑)。移転を機に法人化し、正社員も入社。社員がいてくれるのは心強く、責任を感じるようになりました。
そしてクチコミでお客さまが増えてきて、その1年5カ月後に今の恵比寿のアトリエに移転しました。
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浅草でお店を立ち上げた当初はフルオーダーでドレスを作っていました。お客さまの希望を読み取る力は養えた一方、私の作りたいドレスとは違う要望をいただくことも増えて。
デザイナーの名前を付けて作る以上は、何でも屋さんになりたいわけではないって、その時に気が付きました。それでオリジナルの型を増やし、そこからアレンジするセミオーダーを進めていくことに。今では型とサイズが増えて、レンタルでのご案内が主流です。
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作りたいのは「シンプルでモード」なドレスです。恵比寿の最初の店ではブランドとしてまだ認知されておらず、期待に応えなくてはとかわいらしさも意識していましたが、徐々にバランスを見ながらデザインを削ぎ落として。今のお店に移転する時には、店のインテリアも男性的な要素を入れるなど、思い切り自分の思う方向に進めました。

シンプルでも存在感を出すため、魅力ある「素材」と、無駄がなく挑戦的な「パターン」、きれいに仕上げる「縫製技術」を掛け合わせたドレスを作っています。
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今の目標は、結婚が決まったときに「まず行ってみたい」と思うブランドに育て上げること。全国各地に店舗を出したいですね。遠方から来てくださる方が多いので、東京まで来なくてもいいように環境を整えていきたいです。
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他にはないデザインを提案し、花嫁さまの思いや好みをトータルで表現するのをお手伝いするのが私の仕事。着たいものが着られる、好きなドレスで最高の一日を迎えられる、その力になれたら。 飾り立てなくても、その存在だけで花嫁さまはきれいだと思うんです。その美しさをもっと広めていきたいです。
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横畑早苗

SANAE YOKOHATA
1982年岡山県生まれ・東京都在住。国際基督教大学社会科学部を卒業後、服飾専門学校・エスモードジャポンに入学。ユニクロでデザイナーとして3年間働いて独立後、ウェディングドレスブランド『nae.ATELIER』を立ち上げ。“大好きと 大切を すべてまとって”をコンセプトに、アトリエを恵比寿に構え、ドレスとメンズ衣裳のデザインを手掛けている。
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テキスト:竹本紗梨  フォト:雨森希紀(Maran.Don)
デザイン:前田佳保里 編集:丸山央里絵